わたしたちは、何をするにしてもイメージで動いている。
「できる」ことに対しては、「できる」とさえ思わない。
その「なにも思わないこと」にフォーカスしてみると面白いことがわかる。
わたしたちは、どのようなことも思い通りに叶っているという前提で、毎日をみてみると、なにかしらのブレーキが存在している。
そこにはイメージが必ず存在している。
「できる」という無意識のなかにあるものを
「体験したい」イメージなのか
「体験したくない」イメージなのか
そうわけてみるといい。
過去、子どもたちがアトピー性皮膚炎で、痒みがひどかったときのことをシェアしてみようと思う。
その時、刺激となるものを食べると痒みが誘発されるというルールをわたしのなかで創っていた。
長男のときは、たまごをきっかけに肌荒れを探し、それは添加物や農薬、そこから動物性食品全般、あらゆるものに展開し、痒みと湿疹と口に入れたもの、生活全般を時系列で記録し、その何分後に出現するなどに至るまで原因探しをしていた。
それは、次男、三男と続き、生活すべてをノートに記し、外へこれだけでていた、窓をこれだけ開けていた、布団を外に出した、など食品だけではなく、ダニ対策や、花粉などあらゆるものに対し、痒みが出る、肌が荒れるという前提で、監視をしていたような感じだった。
徹底的に医師の提案する治療そのもの(一日3回の身体洗浄と外用薬塗布)を在宅でもやることを選んだのだが、本当に指導している通りの治療をしているのかどうかドクターが首をかしげるほど、治療は効かず、信じてもらえないという体験をした。
そこでは、痒みや湿疹が出ないような原因つぶしをする一方で、痒みや湿疹が出なかったら「なんで出ないんだろう?」という反応をしている自分がいた。
大人しく寝ていたら、「今日は泣かないな」と思う。しかし、そう思った瞬間に泣いて、ああやっぱり今日も眠れないのかと思う。
自分の思いつくことから、自分が信じていること、はまっていることを観じてみると、そこには自分が体験したい「痒みや湿疹がなく平穏な生活」とは、真逆のイメージを常に持っていたということがわかる。
ドクターに首をかしげられる毎回の受診で体験していたことも、自分のイメージだと思っている。
こんなに自分は頑張っているのに信じてもらえない
そんな自己認識をそこでは体験していたように思う。
受診していたのは、退職した職場だったわけで、わたしは何も知らないただのお母さんではなく、元同僚という位置で自分をセットしていた。
こんな新しい情報も得た。先生が知っている医学だけではない。その世界ではこの医学をこんな風に捉えている。
その医学に反発する自分と、看護師なのにこんなことも知らない、達成できないという自分が多くの知識を寄せ集め、医学では効かないというイメージを持ち続けていた。
退職した後も、自己価値が高かった看護師として自分を存在させたかったわたしもいて、これだけの看護をやっているという達成感を奥底で感じていた。
薬が効かないということによって、医学への反発を表現しながら、価値の高い自分だと自分で決めていた看護師を退職したあともずっとやり続ける。
治っているイメージではなく、痒みが湿疹が刺激によって出るというルールを採用し、それが適合しているかのごとく、それを探していたこと。
今なら、なにがどんなふうにその体験を起こしていたのか?ということがわかる。
素直なイメージではなく、あまのじゃくなイメージのもと、こうなっては困るという世界を創造し続け、そこで自分の価値をわかってよということをずっと訴えていた。
誰にか?
自分にだよね。
あるとき、詳細に自分の体験を分解し、本当に望んでいること、そして自分がいまの状況で何を体験しているのかと向き合った。そこで出てきたことは、膨大で書ききれないほど。
自分とあらゆるものとの関係や、イメージ、達成できていること、を出来る限り書き出すことをした。
「こうなっちゃう」というイメージをつけている自分に気づき、それと向き合う。
ドクターにこう思われてると思っている自分に気づき、それは自分が思っていることだからと受診のたびに自分の位置を確認する。
創造はゼロからできるということを、外側によって振り回されているようにみえて、自分が創るイメージに振り回されていることに気づきながら、リセットしていく。
そんな時間を過ごしたなかで、その自己価値の表現や、自分のもっているイメージが現実と連動しているという他の情報に出会い、体験による学びが確信できるものとなっている。
ついつい体験したいイメージではなく、体験したくないイメージを浮かべてしまう。
でもそれは、イメージ。
相手がどんなふうに思うだろうということも、自分がそう思っているだけでそのイメージをもとにして、今の自分の表現をしていることに気づくことは難しい。
そこに気づいたら、一度リセットし、どんな自分で在りたいのか、どんな自分で在ることを決めるのか、自分で設定し、その自分で行動していけばいい。
安心している世界の自分だったらどんなふうに自分はそこにいることができるのか?どんな表情をし、どんな声で、どんなふうに話し、どんな行動をするのか?
それを感じてみることはとっても大切です。
自分の決めている情報は、自分の毎日の体験から解読できる。
日々の生活のなかで、感じること、思うこと、行動していることとしっかりと対峙することは自分の生活の質を高めるために必要なことです。
体験システムをわかっていこう。
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