Aと言ってもZと認識されるということを使い被害者を抜ける

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今、アメブロの介護の記事を読んでいたところ。アメブロが取り上げているものを時々覗いている。集合意識を感じるために。

介護系、育児系、そして障碍系、闘病系が多いように思う。

今日見たそれは、夫が認知症と片麻痺で、義父母との折り合いも悪く、という設定のなか、その記事がアメブロに取り上げられ、そこで、読者からフィードバックが来たという話だった。

感想、共感、そして、誹謗中傷。

仕事をして、家で介護度5の夫を介護し、へとへとなのに、誹謗中傷をするメッセージに疲弊している様子だった。せめて、メッセージの題名からそれが推測できるものだったら、驚かないのにと。

正直な気持ちだろう。

 

わたしたち、Aだと言ってもZだと解釈してしまうのが当たり前。当たり前だ。言葉を普通に使っているけれど、言葉はラベルなだけであって、そこに何が含まれているのかは、ひとりひとり違う。

スーパーの棚に、果物と書いた箱が並んでいるけれど、そこに入っているものが、そのスーパーのバイヤーの価値観だとしたら、そこにあるのは、果物であって、果物ではない。バイヤーの価値観になる。

『果物』=『そのスーパーのバイヤーの価値観』だとしたら、果物が欲しくて買ったのに、中身が自分の果物のイメージ(価値観)と違ったら、結局「欲しくなかった」と不満となるだろうし、反対に、いい意味で、価値観の刺激が起こり、その価値観を選択することにもなるかもしれない。

 

少年野球の執行役員の準備で、あらゆる価値観が飛び交ったとき、夫は初めて自分の考えを口にした。

>この世界は、2-6-2の割合で構成されている。

>賛成2、反対2、どうでもいい6

>そう思っていると楽、このバランスは変わることはない。

大きくくくるとそうかもしれない。価値観の合う人は、2割。価値観の合わない人は2割。6割は、意見や状況のところに価値観や共感できることがあれば移動が起こる。ただ、言葉の背景は、一人一人違い、賛成のなかでもぴったりと合うということがなく、自分の持つ正しさしか選択できないことを知っていてもよいのかもしれない。

 

その上で、昨日の記事、

脳の3%を変化させたら現実体験が変わる

に書いたように、価値判断基準である持ち情報を自分でも3%しか認識できていなく、それに当てはめて観て、解釈しているだけであり、そこに自覚が全くないというところを合わせたら、みんな違ってみんなよいというところが初めて確認できるのかもしれない。みんな同じなわけがなく、意見が2-6-2に分かれることができることすら奇跡だとわかるかもしれない。

多くの人は、賛成されたとき、自分を認められ、存在価値を肯定されたような、気分になるけれど、それは自分を認められているわけではなく、ただただその他者の3%にたまたま当てはまっただけで、存在価値とは全く関係がない。ひとりひとりが、自分の3%でのみ、自分の価値を測り、感情を揺らすことをしているが、その行為こそがその3%に閉じ込める時間だということにも氣づくと、自分をその3%から開放することもできる。

 

自分が他者を判断するとき、実は自分のその3%を観ているのだということに、自分が氣付くことができたなら、他者に寄って行っているその重心を自分に置き換えることができる。他者を判断しているのではなく、自分の3%を確認しているだけなのだと自分が自分でわかるとき、他者判断にも揺さぶられなくなる。そして、自分の3%を観ることだけにエネルギーを注ぐことができ、その3%の方に寄り添うということになる。

これが自分を知るということであり、自分に寄り添うということであり、自分を愛するということであり、外側を愛するということの意味だ。外に人はいないとはこういうこと。自分の3%をそこに観ているのだから、外側は自分なのだ。のっぺらぼうに自分が意味をつけているそれを、他者と呼び、その意味に翻弄されていることに氣づくことができたら、意味を知り、その意味づけストーリーを愛するということもできる。全部自分の投影だというのはそういうこと。自分の成育歴、家系の思考パターン、それが外側に展開している。どう観ているのかは、全部が含まれたDNAだ。DNAが目となっている。意識となっている。だからこそ、そのDNAが持っている情報を、意味づけを自分が外していくと、家系に癒しが起こる。長い歴史に癒しが起こる。

 

AをZとしか見れないそれぞれのことを知ると、自分への誹謗中傷は存在できなく、それはそのメッセージの送り主の投影だということがよくわかるだろう。その方の書いた、介護の世界観に刺激され、読者のなかの良い悪いのルールが縛りを緩めようとしていることが起きたと思う。それなのに、そこをまた、縛りに変えた。誹謗中傷メッセージを送るという行動は、その情報を持つことを読者が自分で許可していることになるからだ。

そしてそのとき、その誹謗中傷を刺激とし、そのブログ主もまた、自分を被害者に置くことを自分に許可しないことも選ぶチャンスだ。その時、自分はこう生きたいというそれを確認することになったと思う。それを認識するため、それは起きている。その、こう生きたいというルールを自分が実際に行動していくことで、その生き方は具現化を強めていくだろう。その時、きっと、自分だけではなく、周りにいる人の表情も穏やかなはず。調和な世界への選択が、そこで確認できたということ。だからこそ、それを軸にそこにエネルギーを注ぐだけでよい。

 

外側は自分。攻撃のフィールドを創るのも自分。それをどう使うのかも自分が選んでいる。そのためのアイテムとして現実を使う。

そして、攻撃される被害者の自分を脱することができたら、義父母との関係、夫の状態、コメントも変化すると思う。

常に自分がその設定をしていることに氣づくことができたら、外側の情報を活用しながら、その設定を自分が自分で変化できる。それは毎瞬起きてくる、この現実で、自分が常に選んで馴染ませていく。

それを知ることが、平和な世界への第一歩。

 

かわいそうな被害者の自分を設定せず、すべてが調和であるところから、コツコツと平和への一歩を歩いていく。

 

 

それがわたしの世界改革。みんなの97%はこの情報を知っているはず。

Aと言ってもZと認識されるということを使い被害者を抜ける
今、アメブロの介護の記事を読んでいたところ。アメブロが取り上げているものを時々覗いている。集合意識を感じるために。介護系、育児系、そして障碍系、闘病系が多いように思う。今日見たそれは、夫が認知症と片麻痺で、義父母との折り合いも悪く、という設
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hiromitti

保健師HIROMITTIです。 新しい健康教育は、自分の内的世界のなかに、お姫様と王子様を住まわせること。 「愛と信頼で満ちたお姫様」と、「すべてを具現化できる王子様」とのコミュニケーションストーリーに力を貸すことで、自分の人生がパワフルに展開し、健康でイキイキ生きる体験をサポートしています。 他者ではなく、自分で決めるから楽しく生きられる。自分を愛することでQOLを高める方法をご紹介します。

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