獅子座満月前後の
強い揺さぶりからわたしがわかったことは
ストーリーの創造者の位置
でした。
解釈をしている自分と
それをもとにイメージを創っている自分
これはすべてが過去データです。
エックハルトトールの言葉で言うと
ペインボディ。
情報の世界です。
この感覚は、ずいぶんとシェアしてきました。
今回わかったのは
登場人物のストーリーを自分の中に入れてしまい
それをもとにして
自分の決定が揺らいだことによる
中心軸です。
わたしたちは
良かれと思い
他者の状況も考慮し、これだったらいいだろうと決めます。
その土台は自分の世界観からなのですが、
他者の言葉に揺らぎ、また行動を変えていくということをしがちです。
そこにある前提に氣づくことができると
大きくシフトします。
他者の状況を考慮し、言葉に揺れ、他者のためにと行動を変更しているその前提が、もし、相手に負担をかけるからとか、トラブルになるから、嫌われるから、などだとしたら、それは自分軸ではなく、他人軸になっています。ここでの自分のストーリーは、トラブルが起きないようにという危機回避であり、相手にとってのしあわせと自分のしあわせを決めていないことになる。
全てが自分の創作で動いていくのなら、そのしあわせに重心を置いた位置でストーリーを感じることができる。相手の言葉に揺られず、自分の決めたことで通すことができるのです。相手は相手のストーリーの中に居て、踏み込むことはもともと不可能であり、自分のストーリーに相手を入れることも不可能です。でもここで、相手のストーリーを重ねて自分のストーリーとすることを自分が採用していることは多いのではないでしょうか?
この流れのなかで、2018年の2月中旬から、力を入れてきた、『病気から力を取り戻すシリーズ記事』を今回下げることにしました。この記事の核は、病氣は自分の前提が創り出す、体験のきっかけに過ぎないという世界観にあります。
ただ、その体験の思考パターンを病氣から当てはめたとしても、自分のストーリーをもとに行動していることに氣づくことがなければ、変化はありません。そのストーリーこそ大事なのに、その見直しにフォーカスするところまでたどり着かないように思います。ますます今持っているストーリーを強くすることになることもあるでしょう。
ワークの最初から、取り組んで下さいという注意書きをしていたとしても、思考パターンを探るのみの方が非常に多く、ワークの意図が伝えられぬままでした。意識シフトではなく、現状を保持する力が強まるだけだということにも氣づいていましたが、そのまま様子を見ていました。
重要なことは、病氣の思考パターンをもとに、自分の思い込みに氣づくことではなく、どんなふうにストーリーを描きやすいのかを知り、それに埋没し、そこにエネルギーを乗せていることに氣づくことです。病氣を治そうとしては治らないこと、現実を変えようとしては変わらないこと、それらのしくみを知るということの方が大事です。
現実の刺激が入った時、自分はどのような反応をするのか?そして、どのような響きを感じることが多いのか?ここにフォーカスできること、そして、なんとかすることをやめるというその世界が、どのような前提から来るのかを知り、それを信頼し採用していくこと、これが重要です。
そして、そこからどのような自分に氣づくのか?どのようなストーリーを生み出していくのか?ここが定まらないと何も始まらない。そして定まると、反対に自動的な流れに乗る感覚もわかってくるのです。
その時、病氣という事象に力がなくなっていきます。自分のストーリーを知るただのきっかけであり、行動変容させるために創造されたものだとわかるので、ピントが合わなくなっていきます。病氣であってもなくても注目するのはそこではないということが自分でわかると、取り組みは自然と変化していきます。
ということで、HPに書いた記事、そしてLINE@での自動返信によるワークは、下げました。引き続き、問題を創り出さない位置からのサポートを続けていきます。
hiromitti
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コメント
長く体に関わる中で、どうアプローチしたものか?と試行錯誤でした。
問題を作り出さない位置への運び。
本当に課題です。
日々精進というところなんだろうか。
記事の提供に心から感謝です。
本当にありがとうございます。
コメントありがとうございます♪
ひとつのストーリーしかなかったということに氣づく流れが常に起きているのだとも思います♡
「べき論」は、本当に崩壊したように思います。
エビデンス、決まり、因果関係、を採用する前提こそが足かせになる時代にもなってきたのかもしれません。
一気に世界のベクトルが変わったようにも思います。
こちらこそお読みくださってありがとうございます!