木星が射手座に入るのは11月8日です。
射手座というサインと、木星というのはリンクしていて
12年ぶりの帰宅なんです。
で、射手座と言うと、哲学とか宗教とか海外とか専門分野高度知識とか
日常ではない未知波動を学術化したような部分なのかなと
HIROMITTIは解釈しております。
日本人だから海外という概念がある。これ、転勤族で海外が日常になってしまうと射手座のエネルギーではなくなってくるのだと思います。あくまでも日本というベースがあるからこそ。
宗教もコアの部分があるからこそその部分が軸となり、それぞれの角度というものが生まれ、宗教となる。
コアがはっきりとある、そしてそのバリエーションで拡散されているもの
というような陰陽併せ持つようなエネルギーなんだろうと。
で、これからです。
コアな部分のバリエーションが拡大していく。
だからこそ、天秤座期、蠍座期で、コアを十分に知った時間を過ごしています。
いよいよそのコアでフィールド展開していく。
これが二極化というポインターがさしていることであり、自分の世界観が、全体意識(愛フィールド)なのか、分離意識(恐れフィールド)なのかというところで、体験が変わるということだとわたしは思っています。
だからこそ、急ぎ足で、POF理論を提供し、そこでの世界観をできるだけ多くの方に届けようと、ブログも書いたし、メールレターも書いたし、音声録音などのチャレンジもしてきました。ワークショップもね、わたしとしたら、大きなバンジージャンプだったのですが、受け取って下さった方がいました。アウトプットできたということは世界に定着できたということですので、それで完とします。
本当は、これをこの8日までに、完全に見えている世界全員に馴染ませたいと思っていました。
射手座に木星が入り、太陽が入り、太陽が山羊座に移行する頃(冬至)には、固定が起きていることが体感できるのだと思います。
今日は、思い付きのまま、小國神社に行ってきました。
いつものことながら、ここのバイブレーションが好きなので、自分をそこに連れて行きます。
温泉に入り、ほっとするのと同じように、わたしはこの地に向かう道から大好きです。だんだんと山に入り、その山を感じるところから好きなんです。
LINE@に登録して下さっているおひとりの方から、メッセージが来ていたので、ここの波動に浸りながら返信をしようと思い付き、『どこで?』と思ったとき、池のほとりにベンチがあったので、そちらで書きました。
LINE@にコメント下さっている方々とのやり取りで、皆さん最近やっと感覚がつかめてきたとフィードバックして下さっています。
今回の方は、嫌な状況に導かれたとき、バイブレーションを開放させ、感謝で手放すという感覚がわかり、それそのものを楽しむ流れになっていると教えてくださいました。
この感覚がつかめているとき、そこに刺激しかないので、『誰か』ではなく、感覚を響かせるだけという一人の世界に入っています。
ここの位置がものすごく大事で、これが伝わっていることは大きな喜びでした。
愛フィールドの感覚の大切なひとつなので。
でね
小國神社に来るまでの間に、こんなことも感じました。
『行きたいと思うときは、すでに行っている自分が存在している』
ということで、この情報はだいぶ前には知っていたんです。思いついたらもうすでにあるからこそ、その芽を摘まないように見守ってあげるだけでいいっていうこと。
前記事に貼った、音声でもお話しました。
でもね、今回、その感覚が確信になった。それは説明できませんが『そうだね!』ってわかったんです。
『イメージできることはもうDVDを持っているんだよ』と前記事音声で話しましたが、いやほんとだわっていう感覚を受け取ったんです。
出来レースと言われているけれど、ほんとだわって。
瞬間がスイッチであって、他にはなにもない。内的宇宙を覗いてみているだけ、再生しているだけ、だから何も起きていないし、決められていることをただただ再生しているんだって。
何を選んだって、自分がそう選択しているように思えることですら、もう道だった。ただただ再生している、眺めているだけ、次何が起きてくるのかわからないっていうだけで、その選択をする自分を知っていて、だからそれをしようと思うのだと。
わたしたち、自分が生み出している感覚を楽しんでいますが、眺めているだけでした。創造でも引き寄せでもない。
そんな枠のなかで遊んでいるだけだった。瞬間瞬間決めているようで、決められている。思いつくことはもう体験しているから安心してそこに進めばよい。レールを創っているのではなく、創られている。
先ほどのLINE@のコメントの方は、『わかったことであっても、それでも全部がストーリーですよね』って書いてくれていたけれど、まさに何を感じて考えていてももれなくストーリーでしかない。そこで遊んでいることはずっと変わらないわけです。だから自由なんですよね。イメージ通り、ストーリー通りを体験しているし、それを眺める位置にずっと立っていた。自分が脅かされてもいないし、そこにすら飛び込めない。だからこそ、その制限のなかでストーリーを遊ぼうよって言っているんでしょうね。
あのね、小國神社の休憩所に入ろうかなって思ったら、明らかに「ヒーリング・手かざし」しているところだったので、自動ドア開けなかった。入ればよかったなって思うんです。そのとき思ったことが、『そんなことしても根本解決しないし!』という否定だったんですよ。でも瞬間氣づいた。昨日録った音声。何テイクもしているので、YouTubeのなかでの話になっているかどうかは忘れましたが、『イメージだけ』という部分をお伝えしたと思います。
氣づいたこと、おわかりですか?
『そんなことしても根本解決しない!』と決めていたわたしがいたことに氣づきハッとしたんです。ヒーリングで素敵な人生のスイッチになってもいいなって。その時間でしあわせを感じてもいいなって。そう思えたんです。
表面ではないとわたし自身何度も何度もお伝えしてきていますが、恐れフィールドにいたら変わらないって決めているわたしがいました。
出来レースをしあわせを重ねながら体験しているということがわかれば、その瞬間、それでOKになる。全部がそれでいいと強く思えた先ほどでした。
これが小國神社で本日手に入れたアイテム。しあわせだけでいい。方法論、過程、決めなくてもいいというニュートラルな感覚で、今、しあわせが響いています。
しあわせ出来レースをもうここですべてに観る。
その投影を続けていくことで、それは体験し続けられるでしょう。愛フィールドが濃くなるほどに、観測する事象、認識が変化します。フィールドを重ねて観て、それを体験している。そのフィールドこそ、曼荼羅だとも思います。
過去未来は瞬間に。そのとき全部が入っている。だから、どんな行動をしても同じ。そこに自分はいない。今を体験できていることが、ここに生きている意味です。監視モニターの役割だけで充分という感覚。
今日はそんな時間を過ごしています。
音声のなかでお話しした、今日神社で得たものは
・閃きの素直な行動で得られる
・しあわせな世界(愛フィールドの定着)をやりますのでサポートお願いします
・お金が得られるので信じて待つ
・どんな世界観を持っていたとしても、みんなが幸せでいるイメージを創り出せばいい
でした。
さらにリラックスし、ここに在るという部分、モニターであるという部分を楽しみたいと思います。
hiromitti
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