病院にいって
何を体験しているのか?
を考えたことがあります。
ドクターに診てもらって
何を得ているのか?
みんな
何をしに病院へ行くのか?
医大附属病院の小児科他科小児混合病棟に看護師として勤めていたことがあります。
出産のため退職し
そこから「医療」とは?という部分と本気で向き合う時間が起こりました。
薬ってなんだろう
自然治癒力ってなんだろう
薬はもしかしたら
人間の治癒力を損なうものなのかもしれない
何もしない方が
いいのかもしれない
人間の治癒力をサポートできるような治療がしたい
そこで、思いつくままに
様々な代替療法を取り入れる時間も起きました。
でもその時、同時に
大きな不安もあったんです。
わたしの選択が間違っていたらどうしよう。
病院にいって
ドクターの淡々とした説明で
大きく安心を得た体験もありました。
反対に
わかってくれないという強い感情も湧き出たこともあります。
わかってくれないは、「愛される自分ではない」という設定を思い出す感情のひとつでもありますよね。
「安心」を得られていない自分、「愛されていない」自分は、外側にそれを求めるような事象を創り出し、それによって、それらを得ようとしてしまう。安心や愛されていることを強く感じたいために。
わたしたちは
自然治癒力を発動させる前提として
大きな安心が必要だと
多くの体験を積み重ねるなかでわかりました。
不安を安心に変えるために
病院へ行き、薬をもらい、代替療法に切り替え、お手当をする
品を変えて
何をやっているのかというと
不安を、大きな不安を
「これでいい」と安心に変えることを続けているのではないかと気づきます。
その療法を信じられないならば、信じられない体験ばかり。
ドクターや療法や病院を信じられないのではないのです。
そこにいる自分を信じる力が弱いことを、もっと自分を信じたいという声を、自分が確認することが起きているだけです。
ドクターの
「大丈夫ですよ」という
患者を全面的に安心な姿勢で受け容れるだけで
スイッチが入ることは多い思います。
そして、
そこでさらにわかったことがあります。
安心を「貰いに行く」自分では、それを何度でも繰り返すこと。
何によって不安に思っているのかを自分でわかっている人は多くはないと思います。
その正体がなんであるかを、解明しようとした人も多くはないと思います。
そこを掘り下げた時
自分の不安の正体と向き合うことができ
不安を自分で解体することができるのです。
その力を養っていくこと。
自分の力を取り戻していくこと。
自分で安心な場に戻れる力を思い出していくこと。
自分を信じられる力を養っていくこと。
これが
病氣になったときにわたしたちに起きたチャンスです。
先日、数年ぶりに、右の首が痛みました。
寝違えたような、動かすと、すぐに攣ってしまうような、激痛です。
首を痛めた時のメッセージっていうのがあるんです。
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こちらからご紹介しますね。
首はね、
問題の側面をみようとしない、頑固。
柔軟性に欠ける。
という内的要因があるのですね。
首を痛めた直前にね、
Twitterにネガティブ投稿をしたんです。
そしてそこからすぐでした。気づいたので投稿はすぐに削除。ごめんねと自分に謝りました。
エネルギーは自分に戻ってきます。強く自分を設定するから。
攻撃フィールドにいるということは、
自分を防御したいということ。
その位置では、自分のことを「攻撃される自分」であると設定していることにもなります。
すると
あらゆるもののなかに
【戦い】を観るのですね。
うまくいかなかったり、他者同士の争いだったり、問題を起こしたり、それは全体的に。
そして、体内でも【戦い】が起こるのです。
それが痛みとなって現れる。生活がうまくいかないことに反映される。家族間のコミュニケーションがうまくいかなくなる。
ひとつの自分の想いから、神経が繋がっていくように、現実に反映されていきます。
気づいてよという自分の声ですよね。大切にしてほしい、愛してほしいという自分からの声です。相手に何かをされて、それに不満を持ち、その不満エネルギーを表現するということは、自分の設定を、愛されない自分であると設定したことと同じなので、それを解除してよということでもあります。
このカラクリが、レッスンすればするほど、明らかに見えてきます。
この本の内的要素を読むと、わたしの場合は、もっとその事象を、あらゆる側面から見てみようよ。その見方は終わろうよ。というメッセージだったように思います。早く切り替えなよって。そのイメージストーリーは、もう昇華だよって。
詳細メッセージを受け取らなくても、身体の不調自体が、安心の波動からはかけ離れているから起きているわけで、すべてを手放し、委ね、今ここに集中させるということをし続ければいいわけです。
家族のことは全く考えずに、やろうとせずに、一人の時間を頭を空っぽにして、過ごし続ける。
洗濯ものは脱衣所に山盛りだし、キッチンも機能せず、片づけたくなる気持ちを外して(わたしがやらなきゃ家族がどうたらこうたらを横に置き)今ここへ戻る。
それは完全に調和がとれているという設定をまずイメージの世界に創るということにもなっているから。今ここに戻るということが、その設定をしているということなんです。
そして安心して寝る。無防備は安全の設定。困っていない状態を創り、その自分を設定する。
わたしたちは、安心や安全のために、動きがちですが、それはイメージの世界では、「安心ではない自分」をつくっているということになっている。そしてその証拠が展開されています。なので、そこから、体験の仕方を変化させる機会にしたらいい。
安心を何かによって貰いに行く
のではなく
安心を今ここで設定する。
不安を創っている情報方程式を解除する。
イメージの世界で、その自分をセットする。それを現実世界に馴染ませ、それを物質化する。
イメージの世界で、攻撃防御の位置を自分で設定したとたんに起きた痛み。
それは
安心世界を今このときに定着させる動きのひとつでした。
「そのフィールドもうやめなよ。」「愛されている位置で創造してよ。」「早く馴染ませよ。」なんていう声が湧き上がります。
さらに言えば
このような、ああでこうでという掘り下げもいりません。
安心フィールドにいるか
攻撃防御のフィールドにいるか
その二つの世界のみ。
何かネガティブが起きたら、情報方程式(信じ込み)を解除し、自分を【守り】から開放し、無防備な安心世界に戻ってくるだけ。
シンプルです。
これがわかるようになるための、多くの情報。
でも必要なのは、安心フィールドにいることだけです。ただそれだけ。そのフィールドでは、自分はどのような行動の仕方をするのかを知らないからこそ、現実が自分をそこに誘導してくれている。それが体験。
毎日のなかで、分離から統合に向かうことが常に起きているだけ。
だから、現実を利用して、自分の分離を統合させていく。
安心なところに戻っていく。自分を危険から守るために行動を起こすのではなく、安全な位置で創造をする。
シンプルにそれだけ。
思考であれこれ考えることで、攻撃防御フィールドを濃く強くするのではなく、概念の取っ払われた感覚の空間へ。
言葉のない、繋がりのある安心感の世界を、この二元の世界で体験することが起きている。
安心の証拠はいらない。証拠を求めるという行動が、不安であるという証拠であり、その自分を設定し続ける。
その設定に気づき、解除し、すでに安心であるというそのフィールド。無防備。全託の世界。を選ぶ。戻る。
次々と、戻ることが起きている。怖くないよ。安心の世界が強く創られているだけだから。
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